50%理論
俺は小さい頃から物事をよく観察する子供だった。小さな違いによく気付き、とても気にしてしまう傾向があった。いわゆる神経質だな。物心がつく頃になると、人間の心、特に「人間関係」について特に興味を持つようになり、周りの人間をよく観察していた。
その中でも、両親については身近な事もあり、よく観察した。おとんの微妙な変化から、おかんが知らない親父の浮気を見破ったのも実は俺だ。まあ、おとんの浮気の話はいいとして、今回はおかんのものの考え方だ。おれはおかん特有のこの考え方を「50%理論」と命名し、自らも実践している。
「50%理論」はとても単純明快、仕事(主婦なら家事)を50%、パートナーの為に50%の生活リズムと精神的余力を分配する方式だ。「仕事50%じゃ手抜きじゃねえか」と思うかもしれないが、それは間違いである。仕事の分量を減らすのではなく、効率を上げるのだ。そして自分のパートナーの為の精神的な余力を確保する。ここが50%理論のキモの部分である。夫婦間でこの精神的余力を持ち合った合計が離婚回避率になる。
まあ、おとんも50%とは言わないまでも、なかなか精神的な余力はおかんの為に残していたようだ。この「お互い」に精神的な余力を残すところが、熟年離婚を防ぐキーワードではないかと考えている。実際、うちのおかんとおとんは今でもかなり仲がいい。世の中の親父には「家族の為に一生懸命仕事してきたのに・・・」とバッサリ熟年離婚される人も少なくない。これは俺から言わせれば、
よめはんに精神的な負担を強いて、夫婦関係を換金
してきただけの話である。当然、換金が終われば、そこに関係は残らない。その必然的な結果としての離婚なのだろう。
「じゃあお前はどうなんだよ」と言われそうだが、50%とはいかないまでもパートナーの為には精神的余力を確保している。仕事もほどほどで切り上げるし、女の子と遊ばない。いや、あそべないか?、結果として遊んでないのだからよしとしよう。毎日20%~23.75%程の精神的余力は残している。じゃあパートナーはどうか?といわれれば、
精神的余力まったくなしw
仕事でいっぱいいっぱいである。その上、最近ではなにやら試験とかで更にいっぱいである。正に「ワレニ余剰戦力ナシ」、「満州方面ヨリチュウシュツサレタシ」と、精神的余力はマイナスの勢いである。
この50%理論は、精神的余力の合計値が50%を下回ると、パートナー関係崩壊へむけてほとんど一直線に進むことw。まあ、モチベーションが維持できないなら、カップルであれ、仕事であれ、現状維持すら難しいのは自明の理。とんだ結論になっまったナ。

















